第12回遊戯史学会

12月4日の第12回遊戯史学会の例会に参加して大阪商業大学に行った。
基調講演は鈴木笑子氏による「正村竹一による現代パチンコの生い立ち」である。
我が国に於けるパチンコの誕生は、世に流布されているスマートボールからの転用ではなく、明治から大正にかけて欧米で遊ばれたウォールマシンが原型だとか。写真は梅林勲さん所有のウォールマシン。




これらが発展して大正11年、ガチャン、パチパチと言われる機種から1銭パチンコが流通したとのこと。
その後、メダルパチンコから現代と同様の鋼球式のものへと変化していった。もちろんその頃(昭和初期)は単発式である。
ガラス商であった正村竹一は昭和11年に名古屋でパチンコ店を開業している。戦争で周囲はすべて焼けたが正村の店(浄心通近辺)は焼け残り、戦後の物のない時代にベニヤ板とガラスの所在を知っていた正村は、それでパチンコの台を作り販売すると共に、自らパチンコ店を再建した。昭和21年にいち早くパチンコ店を開業できたのは戦前にその開業免許を持っていた僅かな人々だけであったとのこと。
その後正村はパチンコの改良を重ね、昭和25年にいわゆる「正村ゲージ」を作り出す。これが現代パチンコ台の基礎となった。「正村ゲージ」の魅力はスランプがあることにある。入りやすい、入りにくい、玉の出入りの面白み、醍醐味、この妙味を潮の満ち引きにたとえてスランプと総称する。正村ゲージにはこの絶妙の呼吸があった。それは釘と台、0.01o〜0.02oの世界。正村竹一は腕一本、試験玉を左手で当て、かするかかすらないかの微妙な勘と技術で釘を打ち調整し、指導する人間すべてにその精密さを要求した。
パチンコは儲からなくとも、入った、出たという満足感を客に与える必要がある。正村の機械は勝負のできる、意志の通る台であった。
<以上、鈴木氏の講演より抜粋>


会場に囲碁関連コレクターとして知られる戸張正氏の囲碁コレクションが展示されていた。

   

囲碁に関するものなら書籍は当然のこと、浮世絵から陶器までありとあらゆるものが展示されていた。これでも氏のコレクションのほんの一部だそうだ。(^_^)
興味のあったのは明治時代の囲碁番付表で、9級の人が大関になっていたが、このへん、よく分からない。一緒に見ていた将棋の某八段が、「当時はたくさん寄付をした人が番付の上位にきたのだろう」とおっしゃっていたが、ほんとだろうか?


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